よもの海みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ(世界中の人類はみな兄弟だと思っているこの世に、どうして、いつまでも争い波風が立ち騒ぐのであろうか )明治天皇がこの歌を詠まれたのは、欧米列強がアジアを侵略し、ロシアが日本を虎視眈々と狙っていた時代のこと。そして昭和16年、大東亜戦争は避けられないものとなり、事実上の開戦を決定した御前会議で、昭和天皇は懐から短冊を取り出してこの明治天皇の御製を詠みあげられたそうです。御前会議では天皇陛下は発言されないのが常でしたが、このときの陛下は突如発言をし、この御製を詠み、最後までなんとか戦争を回避しよう試みられました。
昭和天皇は幼少の頃(迪宮時代)、祖父である明治天皇にたいへん可愛がられたそうです。普段は無口な明治天皇も、迪宮殿下に会われる時はいつもニコニコされて喜ばれたといいます。明治天皇は鮎を好まれ、鮎の時期になると「これを皇孫へ」と言われて、迪宮殿下の元へ届けさせたといいます。明治天皇の前に出ると誰もが緊張して言葉が出なくなってしまったそうですが、迪宮殿下だけは平気で「おじじ様、おじじ様」と呼んで物怖じされなかったそうです。
また、学習院初等科時代、「尊敬する人は誰か?」という教師の質問に、生徒の全員が「明治天皇」と答えましたが、裕仁親王(昭和天皇)一人だけが「源義経」を挙げたといいます。教師が理由を聞くと、「おじじ様の事はよく知らないが、義経公の事はたかがよく教えてくれたから」と答えられたそうです。(「たか」は養育係の足立たか) そんな裕仁親王も長じてからは、明治天皇をことさらに尊敬し、晩年にいたるまで明治天皇の話題となると居住まいを正されたといいます。
明治天皇御製
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